秀吉が石清水から贈られた香水や弓懸への返信のなかで、山城国綴喜郡内の八幡宮社領について、信長の仰せがあった点を伝えた書状。天正3年11月、信長は、家督を嫡男の信忠に譲ると「上様」と呼ばれ、信忠が「殿様」といわれた。
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