木下秀吉が田中門跡家領・山城国狭山郷(京都府久御山町)の年貢を抱え置くことを名主百姓中に命じたもの。天正元年(1573)7月に木下の名字を羽柴にかえている。信長が義昭を奉じて上洛した永禄11年(1568)以降、元亀3年(1572)以前の文書。信長文書によれば元亀2年の可能性が高い。
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